この言葉の核心は、「揺れ動くことを否定しない」という点にあります。
言葉の意味とニュアンス
- 「漂う(ただよう)」: 自分の力ではどうにもならない時代の潮流や、人生の困難、不安に翻弄され、右往左往している状態です。
- 「沈まず(しずまず)」: たとえ翻弄されても、自分という存在の最後の一線(魂や信念)までは捨てず、致命的な破滅は免れている状態です。
開高健がこの言葉に込めた哲学
開高健はこの言葉を、単なる「粘り強さ」としてではなく、もっと泥臭く、しかししたたかな生存の知恵として捉えていました。
- 「真っ向から抵抗しない」強さ 荒波に対してガチガチに固まって抵抗すれば、ポキリと折れて沈んでしまいます。しかし、波に合わせてゆらゆらと「漂う」ことで衝撃を逃がし、結果として生き残る。これは、現場主義を貫き、ベトナム戦争などの過酷な状況を見てきた彼ならではの視点です。
- 不完全さの肯定 「常に堂々と、迷わず進む」のが理想かもしれませんが、現実は迷い、悩み、流されることの連続です。開高健は、その「漂っている状態」を恥じる必要はない、沈みさえしなければいいんだ、という寛容なメッセージとしてこの言葉を愛用していました。
補足:パリ市との関わり
もともとはセーヌ川の船乗りたちの言葉で、パリが戦乱や革命で何度危機に陥っても、決して滅びなかった歴史を象徴しています。
技術的な試行錯誤や、現場での泥臭い格闘を大切にされる方にとっても、**「今は翻弄されている(漂っている)ように見えても、芯の部分では沈んでいない」**というこの言葉は、非常に深く響くリアリズムを持っているのではないでしょうか。

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